どうき
銅器
銅器は古くから広く用いられてきました。日本では7世紀ごろと思われる銅製の遺物が出土しています。現在では、溶かした銅を型に流し込み成形する鋳金(ちゅうきん)の手法を用いて仏像、梵鐘(ぼんしょう)などを製造している高岡(富山県)と、金槌(かなづち)でたたいて成形する鍛金(たんきん)の手法を用いた鍋、やかんなどを製造している燕鎚起(つばめついき)銅器(新潟県)が産地として有名です。
江戸の銅器は燕地方と同じ鎚起銅器と呼ばれる部類に属しています。火鉢の中に入れる落としといわれる炭を入れる箱が銅で作られていたほか、湯を沸かすための道具として、大坂などの関西では見られない江戸独自の銅製の竈(かまど)である「銅壺(どうこ)」が用いられていたことが、江戸時代(1603~1867年)後期の随筆に記されています。その後、銅壺は長火鉢の灰の中に置く形となり、明治時代(1868~1912年)から第二次大戦前まで家庭の日常生活の必需品として身近な存在でした。
台東区で唯一の銅器職人も同様に、あて金の上で銅板をたたきながら成形していく「鍛金」という技法で作ります。仕上げに、硫黄成分の薬剤をかけることで黒く変色させ、磨くことで下地の銅の色を出していく「ブロンズ仕上げ」やの緑青を配合した溶液で煮て赤錆色に染める「煮色仕上げ」という独特の手法は、粋を好む江戸ならではの技と言えるでしょう。
熱伝導性がよい銅器は、ヤカンなど身近な生活用品として長く親しまれ、熱がすぐに行き渡り集中しないので焦げづらく綺麗に焼けることから、卵焼き鍋も人気を集めています。また、保冷にも優れ、コップなども人気があります。