伝統工芸品

Traditional crafts in Taito city

とうきょうちょうきん

東京彫金

金属工芸のなかでも彫金の技術は長い歴史があり、古墳時代後期(6世紀前半から半ば過ぎ頃)に渡来工人によって伝えられたとされます。冠帽(かんぼう)や指輪、簪(かんざし)などの装身具、馬具類など当時の遺物を見ると、毛彫(けぼり)や透(す)かし彫りなどの基本的技術が定着していたことがわかります。

平安時代(794~1185年/1192年頃)後期に武士階級が台頭するようになると、彫金は刀剣・甲冑(かっちゅう)・金具に装飾として施されることが多くなりました。室町時代(1336~1573年)に現れた後藤祐乗(ゆうじょう)を祖とする後藤家が将軍家お抱えとなり、その格式を重んじる作風が“家彫(いえぼり)”として後世に伝えられていきます。
江戸時代(1603~1867年)になり、太平の世が続くと刀剣は実用性を重んじるものから意匠の面白さを競うものへと変化し、精密な小型の彫金の技術が完成します。元禄期(1688~1704年)以降、横谷宗珉(よこやそうみん)が墨絵の筆勢そのままに鏨(たがね)で表現した片切彫(かたぎりぼり)の技法を生み出しました。宗珉自身は武家よりも町民たちとの交わりを好み、野にあって腕をふるったことから、京都風の”家彫”に対して“町彫”と呼ばれ、その自由な発想と斬新なデザインは、刀剣よりもむしろ煙管(きせる)や根付(ねつけ)などの生活用品に広がりを見せるようになり、新しい流行を生み出しました。

今日に至るまで、こうした彫金の技術は絶えることなく伝承されてきました。主に器物、置物、装身具、神仏具などに施される東京彫金は、素材本来の持ち味を引き立て、格調と重みのある製品を生み出しています。

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