伝統工芸品

Traditional crafts in Taito city

とうきょうぎんき

東京銀器

日本での銀器の歴史は古く、古代の法令・規則集である「延喜式(えんぎしき)」(916年)に記録が残っています。本格的な銀製品の生産は、各地で銀山が発見され、西洋からの渡来人に新たな精練法を教授された室町時代以降といわれています。
江戸時代(1603~1867年)に現在の銀座である銀座役所において銀貨が鋳造されていたことや、経済が発展した元禄文化(17世紀後半から18世紀初頭にかけての文化)では銀が装飾品として好まれたことなどから、江戸時代には、町人の間でも銀製品が広く使用されていたことが明らかになっています。これらの時代背景によって、東京が銀器の産地の中心として栄えることとなり、平安時代(794~1185/1192年)から続く銀(しろがね)細工の技法を受け継いだ「銀師(しろがねし)」が生産を担い、今日に至っています。
日本の銀製品は、慶応3(1867)年のパリ万国博覧会で世界に広く知られることになりました。明治以降には銀製の花器などが数多く輸出され、戦後は外国人の往来が増え、銀製品の需要も拡大しました。こうした歴史的な背景から、東京、とりわけ台東区が主要な産地となっています。

主な製作方法は、1枚の丸い銀の地金を金槌(かなづち)やアテ道具で壺(つぼ)のようにたたいて丸めて成形する「鍛金(たんきん)」、金槌と鏨(たがね)で表面に模様を打ち出したり、素材の表面を鏨で彫ったりして、装飾する「彫金(彫刻)」、絵柄の部分を切り抜き、別の金属を嵌め込んで装飾する「切嵌(きりばめ)」、その他、「打ち込み象嵌(ぞうがん)」、「鑞付(ろうづけ)」といった伝統的な技法で食器や装飾品、置物などのさまざまな製品がつくられています。


ショートver.(1分33秒)

 

 


ロングver.
(業種の歴史・製造行程・道具などを詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。9分2秒)

 

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