伝統工芸品

Traditional crafts in Taito city

とうきょううちはもの

東京打刃物

「日本書紀」によると、日本で鍛冶が行われるようになったのは、敏達(びだつ)天皇の時代(583年)に新羅(しらぎ:朝鮮半島南東部にあった国家)から鍛冶工が招かれ、鋼の鍛冶法を習ったのが始まりとされています。
その後、武士階級が台頭するにつれて刀剣職人が現れ、技術も磨かれ、やがて軟らかい鉄でつくった刃の部分に鋼(はがね)を接合するという、日本独自の技法である「着鋼法(ちゃっこうほう)」を生み出し、しなやかでいて、しかも切れ味の鋭い刀剣を作ることができるようになります。

慶長8(1603)年、徳川家康が江戸幕府を開くと各地から商人や職人が江戸に移住し、幕府の御用職人のなかには、鋳物師(いものし)や打物鍛冶師(うちものかじし)の名前も見られます。
その後、江戸時代中期になり太平の世が続くと、刀鍛冶職人のなかには刀鍛冶技術を生かして日常生活に必要な刃物の製作に専念する者も出てきました。さらに、明治4(1872)年の廃刀令の影響で、ほとんどの職人は業務用・家庭用刃物をつくるようになり、文明開化で伝来した洋風刃物の製作や、洋裁業の広まりとともに普及した裁ち鋏(ばさみ)などの製作にも取り組み、現在に至っています。
主な生産地としては、足立区、荒川区、台東区などが知られています。

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