えどおしえはごいた
江戸押絵羽子板
江戸押絵羽子板
羽子板は、古くは「胡鬼板」や「羽子木板」とも呼ばれていました。羽子(羽根)は「胡鬼の子」「羽子の子」「つくばね」とも呼ばれていました。今から約600年前の室町時代1432年のお正月に、男女の組に分かれ、「胡鬼の子勝負」が行われたことが記録に残っています。
<歴史>
今から約400年前の江戸時代に、厚紙などの台紙に布を貼ったり、布に綿をくるんだりして厚みを持たせた部品をつくり、それらを組み合わせて立体的な絵を作る「押絵」の技術が発達しました。それが江戸押絵羽子板のはじまりです。
江戸時代の終わり頃に歌舞伎が人気となり、歌舞伎役者の似顔絵を付けた「役者羽子板」が作られるようになり、とても売れるようになりました。年の瀬には、羽子板の売れ行きで役者の人気が分かるほどで、これにより、江戸押絵羽子板は広く知られることとなりました。
<特徴>
羽子板の限られた空間の中に、華やかな躍動感ある歌舞伎の世界が再現されているのが江戸押絵羽子板の特徴です。
決められた形の中で、人物の動きや表情・季節・景色・場面の他、演じる役者の気持ちまで表現されています。顔の表現だけではなく、手の表情や角度、手描きされた衣装の柄、立体感の出し方といった細かな部分も見所です。
<匠の技のポイント>
①「押絵づくり」:型紙と布地の間に綿を入れ、コテ(工具)でのりづけ
②「面相描き」:上塗り胡粉で表面をなめらかにした後、面相筆(先の細い筆)で目、口、鼻などを描く
③「組上げ」:押絵の終わった各部分を裏側から和紙を用い、コテで糊づけ
<伝統的な材料>
桐板、絹または綿織物、綿、絹糸(髪の素材)
<台東区>
江戸の伝統的な技法を受け継いだ押絵羽子板師たちは、今も押絵羽子板を作り続けています。特に12月17日から19日までの3日間には、台東区浅草寺の境内で江戸の昔そのままに羽子板市(歳の市)が開かれ、年の瀬の風物詩の一つとなっています。飾り立てられた羽子板、色とりどりの羽根が並び、景気のいい掛け声と手拍子のにぎやかさに昔を思い出されます。