とうきょうぶつだん
東京仏壇
日本への仏教の伝来は古く、685年の天武天皇の詔(みことのり)により、奈良時代には日本の各地に国分寺、国分尼寺が建立され、その後、時代が下るに従い、仏教は貴族から武士、そして庶民にも広まりました。
江戸時代(1603~1867年)には、徳川幕府による寺請(てらうけ)制度など仏教に対する保護策を進め、都市を中心に寺院が多く建てられ、暮らしが安定し豊かになるに従い町人の間にも仏壇仏具が普及し始めます。
もともと浅草の浅草寺や上野の寛永寺により門前町として発展してきた現在の台東区地域は、江戸時代の明暦の大火(1657年)の後、寺院仏閣が幕府により上野から浅草にかけて集められたことにより、多くの仏具職人が集まるようになりました(その流れから現在も台東区には、浅草通りに見られるように仏壇仏具を取り扱う店舗が多数存在します)。
東京仏壇は元禄のはじめ、江戸の指物師が、仕事の合間に桑や欅(けやき)などの堅木材を使い、独自の技術・技法によって比較的淡白で飾りの少ない仏壇を作りだしたのが始まりとされます。徳川将軍吉宗の時代の1745 年、浅草門前町の支配が寺社奉行から町方に移管された結果、仏寺が栄え、一般町民も競って仏壇仏具を求め、需要の高まりとともに指物師や仏師などの職人が仏壇の製作に専念するようになりました。仏壇に黒檀(こくたん)、紫檀(したん)などの唐木材(からきざい)を最初に使ったのは、江戸仏師の三代目安田松慶(しょうけい)で1840年頃と言い伝えられています。
今日の東京仏壇は、これらの技術と江戸の職人気質を綿々と受け継ぎ、唐木材本来の持ち味と木目の美しさを生かした、堅牢(けんろう)で簡素な仏壇として定評があります。