伝統工芸品

Traditional crafts in Taito city

えどふうりん

江戸風鈴

風鈴はもともと風鐸(ふうたく)と呼ばれていました。鐘に似た形の「鐸」は、その真ん中に垂れ下がる舌(ぜつ)と呼ばれる紐の先端の錘(すい)が鐸の内側を打ち、音を出すもののことです。もともとは約2000年前、中国で竹林の中で吊り下げて、その鳴り方で吉凶を占う道具で、中国の仏堂や塔には魔よけとして風鐸があちこちに吊(つ)り下げられていたといいます。

日本には仏教とともに伝来し、魔よけとして寺院の四隅に吊るされていましたが、鎌倉時代(1185~1333年)には軒先に吊るして涼やかな音を楽しむなど、広く普及していたようです。その時代に法然(ほうねん)が名付けた風鈴(ふうれい)が、後に「ふうりん」と呼ばれることになったといわれています。
ガラス製の風鈴が出始めるのは享保年間(1700頃)とされ、長崎の「びいどろ(ガラス)」職人が見世物興行として大坂、京都、江戸を行脚したことで伝わりました。1800年頃からは裕福な大名や豪商などの屋敷などでも見られるようになりましたが、とても高価なもので庶民には手が届かず、江戸時代(1603~1867年)末期になり、ようやく庶民にも広く知られるようになりました。浅草寺のほおずき市で多くの風鈴が必要とされたことから、江戸に定着したともいわれます。

「江戸風鈴」という名前は、江戸時代から伝わったガラス風鈴を受け継ぐ職人、故・篠原儀治(よしはる)氏が昭和40(1965)年頃に名付けたものです。蒸し暑い夏を涼しく、楽しく過ごすための創意工夫として自然の風を利用した、目にも涼しいガラス製の江戸風鈴は、一つ一つ「宙吹き」というガラス工芸の手法で作られてきました。
朱(あか)は魔よけの色という昔からの言い伝えもあり、50年近く前まではガラス風鈴といえば“赤”というくらい多かったといいますが、現在では厄(やく)よけのほか「縁むすび風鈴」なども人気を集めています。

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