看板彫刻
看板は商人や職人などの店に掲げて屋号・商品などを広告するもので、看板彫刻は、木地(木の板)に文字や模様を彫り、色付けして看板に仕上げる仕事です。「筆耕(書き師)」に書いてもらった文字を看板のサイズに合わせた和紙に拡大プリントして木地に貼り、文字や柄の形に合わせて周囲を彫刻刀で彫っていき、ツヤ出しをし、色を塗って仕上げます。
看板の歴史は非常に古く、その元祖である「扁額(へんがく、門戸や室内などに掲げる横長の額)」が日本に伝来したのは飛鳥時代(592~710年)のことだと言われ、「大宝律令」(701年)の中にも看板に関すると思われる記述が見え、奈良・平安時代(710~794年、794~1185年/1192年頃)には都の東西市で、見世棚(みせだな)に標を立てて、名を記したものがありました。
板に書いて長年の使用に耐えられるようにしたのは、室町時代(1336~1573年)末からといわれ、商店で扱っているものをわかりやすく表現した絵馬のような看板なども登場します。江戸時代(1603~1867年)になり、城下町や三都の店舗商業が発達すると、看板は最も有力な宣伝手段として、さまざまな工夫が凝らされるようになり、寛文年間(1661~72年)ごろから文字看板が隆盛します。扁額や看板の製作が専業化するのは江戸時代中期以降のことで、専業化と同時に作業工程の細分化も進み、文字彫刻を専業とする人々は額師、額匠と呼ばれました。
一時期、木彫看板の需要は減少したものの、素材の温かみや懐かしさ、自然な風合いなどが見直されるようになり、近年、需要は回復してきています。
製作工程の機械化が進むなか、台東区の伝統工芸である「看板彫刻」は、江戸時代の額師から連綿と継承されてきた彫技を受け継ぎ、あくまで手彫りにこだわっています。一彫り、一彫りが、手作業のため不均一さが生み出す風合いや、文字に合わせた彫りの変化が持ち味として、愛され続けています。
- 木地に文字をプリントした和紙を貼り、文字や柄の形に合わせて、彫刻刀でヘリの部分がなだらかになるように周囲を彫っていく(かまぼこのように丸みがある状態にする)。彫り方には額彫り(カマボコ彫り)、薬研彫り、字透き、石屋彫りという技法がある
- 下地を塗って木の目を埋めて平らにし、水ペーパーで研いでは塗る作業を3回以上繰り返してツヤを出す
- 色を塗り、残っている紙をはがして仕上がり
主に欅(けやき)、檜(ひのき)、檜葉(ひば)等
福善堂 坂井看板店
坂井保之、坂井智雄
台東区松が谷3-4-1
03-3841-5801