つげ櫛
日本では、櫛は縄文時代から使用されていました。そのころの櫛は、動物の骨や角などに彫刻を施したものや、木製の歯を編み込んで朱漆(しゅうるし)で塗り固めたもので、髪を飾るための挿櫛(さしぐし)でした。
髪をすく梳櫛(すきぐし)や解櫛(ときぐし)が作られるようになるのは奈良時代(710~794年)になってからで、万葉集にもつげ櫛が詠まれた歌があります。
つげ櫛は装飾的な櫛ではなく、その形は奈良時代からほとんど変わっていません。当初は神様に奉納されていましたが、一般庶民が使用するようになったのは江戸時代(1603~1867年)からといわれます。江戸時代後期になると女性の髪型が多様化し、また歌舞伎役者や相撲力士などの髪を結う床山(とこやま)など、髪結いを専業とする職人が増加すると、つげ櫛もその目的に応じてさまざまな種類のものが作られました。
古来、黄楊(つげ)は櫛の材料として良質なものとして珍重されてきました。黄楊はとても希少で、今では鹿児島など栽培される地域は限られています。年輪がキレイに丸く出るように、10年ごとに南と北を植え替えるなど育てるのに手間がかかるといい、硬くてねばりがあり、弾力性があるものが良しとされます。
台東区を含めた周辺地域には、櫛職人が集まっていた地域が何カ所かあり、なかでも池之端元黒門町周辺は、つげ櫛職人が多く集住していた地域でした。現在も台東区には、日本国内でも数少ない、つげ櫛を一貫して手作業で製作できる職人がいます。
60もの工程を経て作られるつげ櫛は、髪に艶が出て静電気が起きにくいなどの特徴があり、非常に丈夫で長持ちするので、一生ものとして使用できます。
- 切ったばかりの板をまっすぐにし、いぶしてあくを抜く
- 自然乾燥で4年寝かせる(硬くていい木なので乾燥に時間がかかる)
- 荒削り:櫛の大まかな形を成型、サメの革を使ったやすりで櫛の目の間を少しずつ削り、歯の角を落としていく
- 金属のやすりで櫛の目の間を少しずつ削っていく
- 磨き込み:目の間を滑らかに磨いていく(歯の下側・真ん中など、順繰りに磨いていく)
黄楊(つげ)
サメなどの動物の革や金属などでできた8種類のやすり
十三や櫛店
竹内敬一
台東区上野2-12-21
03-3831-3238